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南山城村の歴史とお茶を巡る・感じる

 関西本線木津亀山間活性化同盟会ウォーキングイベント「春の訪れ~宇治茶の主産地・南山城村の歴史とお茶を巡る・感じる~」に参加してきました。

「関西本線乗ってね」ってイベントなのに車で向かってしまったわ…

時間を気にしない旅なら、断然電車旅推奨派でございます…

大阪生まれ大阪育ちなもんで、どこへ行くにも阪急電車でしたので、伊賀に嫁いできてから車生活に馴染んでしまったけど、基本電車好き人間です。

関西本線はディーゼル車なんで電車とはまた違った乗り心地?が楽しめます。

ただ、都会の電車とは違って本数が1時間1本とかなんで…ね…時間を気にしない人推奨…😂



今回のガイドは今日が語り部デビューのハシモト ヨイチさん!
とっても流暢に説明してくださいました。


伊賀市の広報さんもお仕事、おご苦労さまです😉


さて、大河原駅から歩いて数分のところにある沈下橋へと


大河原橋、恋路橋とも呼び二人で渡ると恋が叶うかもとのこと💕

新居橋が高架されて以来、久しぶりに沈み橋を渡ります。
川が近いのはいいねぇ
新居橋よりも高さがない分余計に近く感じました。
南山城村は御影石の産地で50センチ角の様々な石を組み立て(橋脚部分)最後に4メートルの石をのせたそうです。

対岸の集落からも橋の要望が明治の頃からあったにも関わらず昭和20年亜炭の運搬用ということで橋が架けられることになったそうです。
亜炭の運搬にはもちろん大河原駅から鉄道を使っていました。


橋からの眺め
遠くに「やまなみホール」


「やまなみホール」
世界的建築家 黒川紀章が設計した。
対岸側からだと外観がよくわかる
ホワイエから見る木津川と山の借景が黒川氏のお気に入りだったとか


恋志谷神社


天満宮社の石碑
柳生宗冬が寄進した石鳥居
榊の枝がどこよりの立派で和む


椿の花手水でおもてなしされました


後醍醐天皇の側女が病を患い伊勢で療養していたころ天皇は笠置で北条高時を打ち破りはしたものの形勢逆転し、敗れてしまい隠岐に配流された。
姫は天皇に会いたくて笠置に向かう途中、南大河原の
古森という地に着いたときに、後醍醐天皇が笠置より去ったことを聞きあまりの悲しさに持病が再発し、自害なさったと。姫の辞世の句には、後醍醐天皇に恋慕していること、また自分の病気があるにも関わらず、後の世の人の病気や苦難を我が身に受けますとあったと言い伝えられます。そのことを哀れんだ村の人々が手厚く葬り姫を祀ったとのこと。

もともと古森という地にあり、斎(いつきのかみ)神社といわれていましたが、江戸末期に天満宮社に合祀されました。

またこの神社は約700年前から毎年、宮守(みやもり)さんが一名選ばれ、毎日境内の清掃や諸行事などを行っています。
とても清々しく心地の良い神社さんです。



天満宮社の拝殿の屋根はトタンに覆われていますが茅葺きで吹き抜けです。


大河原大橋の上流側の左端に甌穴発見です。
この岩盤は花崗岩で、何万年という長い年月をかけてくぼみに入り込んだ石が水流によってあけた穴です。
今は上流にあるダムで水量が少ないですが、ダムができるまではかなりな水量があったことがわかる証拠ですな。


奥に見えるのがいまだ現役の水力発電施設である「大河原発電所」

※イベント帰りに近くまで行ってみました

近代土木建造物2800選のプレート


窓枠のデザインも素敵です


村の粘土を使って作ったレンガと石材を使ってアールヌーボ風を取り入れたデザイン


裏の水路から落ちる水


大正8年12月から運転開始
それから、修理や交換などはあれども100年以上も頑張って今も稼働中


関西本線の ん?もしやS字カーブしてる?
気のせい?
でもかなりな急カーブ!


昭和28年の大水害の記録を残す石碑
ここも大変な被害があったようです。



無量山春光寺さんの薬師如来像を拝観しました。
平安末期作でとても柔和な御尊顔でございました。
脇侍の十二神将日光菩薩月光菩薩様は後に寄進されたものだそう。
如意輪観音様、不動明王様は廃寺になったご本尊を引き受けられたそうです。
大般若経もあり、村人にとても大事に守られているお寺さんだと思いました。

ここでひとまずウォーキングイベントの一部は終了です。
次はやまなみホールで開催されているお茶会に参加します。
つづく

コメント

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